2018年2月1日木曜日

未解決事件

このブログであまり生活と関係ないことは書かないつもりでしたが書かさせて頂きます。

私は凶悪事件や未解決事件を調べるのが好きです。
未解決事件の場合は被疑者が誰なのか推理するのも好きです。

そんな私ですが、行方不明者の事件にも興味がります。いわゆる謎の失踪です。
大人の失踪は事件性ない場合も多いですが、子供となると別。
その中でも特筆べき事件が1989年に徳島で起こった松岡伸矢ちゃん(当時4)の失踪事件。

子供が失踪する理由はなんでかまず考えないといけません。
①誰かに拉致・誘拐された
②自ら失踪した
③事故に巻き込まれたもしくは事故で消えた(谷底に落ちる、川に流されるなど)
④失踪なんかしておらず失踪はでっち上げ

この4パターンしかないはず。
しかし、当時4歳の子が自分の意志でしかもほぼ見知らぬ土地で失踪するとは思えない。そうなると②はない。次に事故に巻き込まれたですが、捜索しても伸矢ちゃんは見つかっていない。しかも状況的に事故に巻き込まれる可能性はない。
そうなると①か④である。

次に誘拐する理由は
A)身代金目的
B)性的快楽目的
C)人身売買目的
この3つでしょう。子供が欲しい夫婦や戸籍目的などもCとします。そして今回の事件はAではない。なにせ自宅近くや通学路以外で身代金目的で誘拐された子供なんか聞いたことがない。誘拐する子供の下調べが必要ですからね。そして今回は男のなのでBの可能性も低い。となるとCが濃厚になります。しかし、初めて見る男の子をCで誘拐するのも?です。
そう考えると①は消えます。

この事件が有名なのはお父さんが40秒間目を話した隙での失踪と言われています。
そして特異性は二つ。40秒間の空白と謎の電話

誰かに拉致された場合、40秒間しかないうえに何故にこの場所で犯行に及ぼうとしたのか?
現場は伸矢君の実家ではない。親戚のお宅であり、伸矢君は初めて来たと思われる。
従って犯人が伸矢君をマークしていたとは思えない。そして私の持論として、土地勘のない場所で重罪は犯さないです。

次に謎の電話です。これは伸矢君の失踪直後に徳島の家に伸矢君のお姉さんと同じ茨城県牛久市の幼稚園に通う園児の母親だと名乗る女性から電話が掛かってきます。お見舞金の話です。しかし、その幼稚園は存在するのだがそんな園児はおらず、見舞金の話は出ておらず、尚且つ誰もその幼稚園どころか牛久の人間に失踪を伝えていない点です。しかもどうやって徳島の番号を知ったのかも謎。そして電話の女性は徳島訛りがあったと言われております。徳島の人間が何故に牛久の幼稚園の名前を知っていたのだろうか?インターネットもない当時に情報がすぐに伝わるとは思えないし、愉快犯がいるとも思えない。

あの国に拉致されたという意見もございます。徳島県のある港にはあの国の貨物船が良く出入りしていたと。でも、失踪場所は徳島県の内陸部。よそ者がいたら目立つはずだし、現在みたいにナビもない。そうなると答えは④、失踪なんかしていない、いや内部犯行ではないのかと。しかし、伸矢君の両親が絡んでいるとは思えない。となると親戚の犯行か?それもおかしい。そうなると親戚ではないが近くの者の犯行ではないかなと思います。例えば同じ集落の人間。たまたま伸矢君を当日見かけ、衝動にかられ、誘拐。しかし、事件が大きくなり自宅等で監禁する羽目に。


そしてこの度の報道で、伸矢君らしい人物が発見されたと。
https://www.nikkansports.com/general/news/201802010000832.html

事件の1989年の時点で4歳なら現在は32歳。そんな男性が21歳まで軟禁されていたのならこの11年は何をしていただろうか?両親の記憶はないのに4歳ぐらいからと覚えているのも不思議である。軟禁されていたのなら軟禁していた男はどこに行ったのか?何故解放されたのかも気になる。勿論軟禁なら学校にも行けていない。そんな人物がどうやって11年間も生活できたのか?新潟で軟禁されていた少女がおりましたが、女の子と男の子では状況は違い。

発見された男性が伸矢君だという可能性は低い。何故なら軟禁から解放されたら普通警察に行く。もしくは発見されたのなら警察に通報される。しかし、この時代DNAがあるので面白半分名乗り上げることはできない。 もし、伸矢君本人なら軟禁した人物はもうこの世にいないと断言します。いずれにせよ伸矢君が元気に生きていることと願うばかり。

0 件のコメント:

コメントを投稿

明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。