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2018年5月24日木曜日

先々行オールナイト④

8個のビールの樽で480杯。
しかもこれを僅か30分弱で販売する。4万人のスタジアムでもなかなかないと思われます。

あの当時500ミリで一杯が650円はしたと思うんですよね。ということは312000円をビールだけで売り上げたことになります。しかも30分で。コーラとかポップコーンとかも考慮したら40万は軽く超えております。

しかし、その途中で自動ビールディスペンサーに異常が発生します。樽に繋がっているのに作動しないのです。気づくとあるランプが点灯しております。

前にも書いた通り、上映時間と上映時間の間の休憩時間に入る前に、我々は作り置きをします。その際にビールも作り置きをし、そして休憩時間に突入し、ビールが売れ始めると状況を見ながら追加で作り出します。この追加は作り置きのビールが無くなる前から勿論し始めます。

自動ビールディスペンサーが作動しなくなり、焦っていた私に販売担当の戦闘員から注文が入ります。しかし、その注文に対して『動きません!』と返答するだけで精いっぱいです。勿論、販売担当も最初は私が何を言っているのか理解しません。そしてどんどんビールのオーダーが入り、待つお客さんが増えます。 私は正直機械が壊れたと思いました。使い過ぎで。しかし、暫くすると点灯が消え、再び動き出します。だが、ある程度進むとまた点灯し、動かなくなる。

結局その後、点灯ランプは自動ビールディスペンサー内の冷却用の水がぬるくなっていることを表していることを知ります。樽とディスペンサーはチューブで繋がっているのですが、そのチューブはディスペンサー内にもあり、そこでチューブごと冷却され、そして最終的に液体がカップに注がれる。

自動ビールディスペンサー導入の日に私はいましたが、中に水が入っていたことも知りませんでした。ということでその後ランプが点灯した場合はその水に氷を入れることでランプを消すことが可能に。特に夏場は熱くなりやすいのでランプの点灯が頻繁になりました。日比谷スカラ座もそうですが、あの当時の映画館ってロビーとかはそこまで涼しくなく、売店の中は機械類の関係でかなり暑かったです。

一日単位での戦闘ならジュラシックパークには勝てないのだが、一回の戦闘ならダイハード3の先々行オールナイトには勝てません。 一晩で80万円は売り上げ、バイト5人の報酬は3万円。会社は凄く儲かりました(笑)。

2018年5月8日火曜日

先々行オールナイト③

日本初の自動ビールディスペンサーは日比谷スカラに設置されました。

詳しい日時は忘れましたが、1991年には導入されたはずです。

その前までは缶ビールを販売していたのですが、勿論缶ビールをそのままお客さんにお渡しすることはなく、野球場と同じく、紙コップに空けます。

因みに紙コップに空ける際も片手に缶ビール、反対の手に紙コップではなく、片手で缶ビールと紙コップを持って空けることができます。そして空いている手で代金を貰い、そしてお釣りを返すのも可能でした。そして二杯注文が入った際は二本同時に空けることも可能。

尚、缶ビール1本でも2本でも空け方は二通りあります。紙コップが下なのは当然なのですが、缶の底面が自分の方に向くか向かないかです。自分の方に向いた場合は紙コップの口はこちらを向いております。この方式だと紙コップの底面をテーブルに接触させ、安定させることができます。しかも角度は緩やかなので溢れ出るリスクは少ない。しかし、これだと移動はできない。

逆に缶の裏面が向こうを向いている場合は紙コップの口は反対側に向いております。この場合、角度は急であり、気を付けないと溢れ出る可能性があるのですが、この方式だと移動ができるのです。なので一人でビールを空けながら別の場所に移動し、アイスコーヒーを入れることも可能。

この時代の日比谷スカラ座及びその周辺の映画館の売店は上品なサービス・応対よりスピード勝負、いかにお客さんを待たせないかを重要事項にしておりました。

いずれにせよ自動ビールディスペンサーの登場でこの作業もなくなり、しかも樽の生ビールを販売可能に。紙コップをセットし、ボタンを押せば、ちゃんと泡もありで注いでくれる。しかもその間は他のことができます。

忙しい時はビール作り専門で戦闘員を配置しないといけないぐらいですが、基本的に付きっきりでなくて良いのでアイスコーヒーやホットコーヒーの担当も可能に。因みに日比谷スカラ座はホットコーヒーも今でいうエスプレッソマシーンがございましたのでワンタッチで入れることが可能。

自動ビールディスペンサーはチューブで樽と接続。樽が空になれば入れ替えをする。一つの樽で60杯取れ、しかもディスペンサーは紙コップ二個置けて、二個同時にそそぐことも可能。そして樽は4つ設置可能。なので満タンの樽なら一気に240杯いけるのです。

ダイハード3の先々行オールナイトまでは休憩時間の戦闘中に樽が空になり、樽を入れ替える必要性はあったのですがそれでも樽一つで済みました。

しかし、ダイハード3の先々行オールナイトはそうはいきません。最初の樽4つに追加が5つ。合計8個、ビールは420杯を販売。夏、しかも夜ということで爆発的に売れたのですが、この420杯には別の問題がございました。

つづく

2018年4月21日土曜日

先々行オールナイト②

6年半のバイト生活で先々行オールナイトを担当したのはダイハード3が初であり、最後でした。それだけの話題性がこのダイハード3にはありました。

 日比谷スカラ座での先々行オールナイトには私を含め、バイト5名が出陣。1本目は22時前だったので契約社員の方が残り、6名。前にも書いた通り、この時の最強の布陣。通常だとバイトを映画館や東京宝付劇場ごとに散らすのですが、この日はオールスターでした。普通のオールナイト興行の場合、バイトは最大3名なのでいかに多いか分かるかと。

だいぶ前に書いたように日比谷スカラ座のMax戦闘要員は8名。そこに契約社員の方を入れて6名。従って余裕のない布陣でした。

一本目の布陣は年長者であり、一番経験が長いSさんが飲料ディスペンサーの左横。販売1番手。その左に5名の中で私の次にバイト経験が長い大学生。ディスペンサー担当がフリーターの男性(私と同い年)。そしてその右横が別の大学生のバイト。プログラムやグッズは契約社員さん。 私はホットコーヒー、アイスコーヒー、烏龍茶、そしてビールを担当。

夏だったのでホットコーヒーは出ないので作り置きはしません。アイスコーヒーを先に作り置きします(勿論開場時間からの逆算です)。ディスペンサー担当はコーラやオレンジ系の飲料の作り置きをします。まずはカップに氷を入れ始め、作り置きする分の氷入りアイスを用意。そして作り出すのですが、この際蓋を閉めるのはディスペンサー担当ですが、ストローを刺すのは販売1番手のSさんです。そのSさんがストローを刺し、並べていきます。Sさんが並べ終わったら、右側の販売三番手が自分の前に並べます。

アイスコーヒーを並べるのはSさんと二番手の後ろ。 氷入れから蓋をし、ストローを刺すのも私の担当です。そして開場し、お客さんが入ってきたらビールの作り置きもスタートします。この時代、まだ日比谷スカラ座は自由席もあったのでまずは席取りにお客さんは行きますのでタイムラグが発生します。

アイスコーヒーはある程度作り置きしているので私の戦闘位置はビールのディスペンサー前になります。日比谷スカラ座の売店はこの数年前に日本初の自動ビールディスペンサーを導入。ボタンを押すとカップが傾き、ビールが注がれ、最後はまたカップが垂直になる。自動化のお陰でその間別のことができるので非常に便利な機会でした。

しかし、自動化のお陰でこの後、大変なことになります。

つづく

2018年4月19日木曜日

先々行オールナイト

6年半のバイト生活で一番凄かった戦闘は間違いなく1995年6月のダイハード3の先々行オールナイト興行でした。

 オールナイト興行をご存知ない方に説明すると普通の上映は午前に1本目が 始まり、そこから上映時間に応じて繰り返し上映され、最後は19時ぐらいに最終回が上映スタート。しかし、人気(話題)作品だと土曜日にさらに3回上演します。21時半過ぎ、零時前、そして3時ごろ。最後の上映が終わると始発の電車で帰宅できることになります。オールナイトだとどこか遅くまで遊びに行ったり、飲みに行った後でも鑑賞可能。

今はシネコンが主流で、同じスクリーンで繰り返し上映はないでしょうが、当時はシネコンはあってもスクリーンごとに上映する作品は決まっておりました。
例えば日比谷スカラ座、日比谷映画、みゆき座と3館あった場合、同じ日には映画作品は3作品しか上映しない、一つの映画館で一つの作品でした。

レイトショーは当時の日比谷界隈ではなかったですが、人気作品になるとオールナイト興行をやっておりました。大抵初日の夜でしたが。バイトは何故オールナイト興行の場合は現金で6000円貰っておりました。22時まではタイムカード、22時からラスト(大抵3時)までが6000円。当時は労働基準法の関係で18歳以上の男性しか22時以降は働けず。契約社員さんは女性ばかりだったので契約社員さんは22時で終了。その後は男性バイトのみ残ります。私は16歳から始め、満を持して18歳(高校三年の時)の時に初オールナイトでした。

オールナイト興行と言っても混むのは一回目の21時半過ぎの回。その先は減っていくばかりで最後の3時ごろの回の場合は何も作り置きをせずに来たら対応という場合が多かったです。バイトはその日の朝から出勤し、そのままオールナイト興行に残る者が主流。しかし、日比谷スカラ座でオールナイト興行でも日中は日比谷映画やみゆき座にいたバイトもおります。

オールナイト興行のバイトはその特性から新人は不可。ある程度の日中のバイト経験があり、全てオールマイティさを求められます。日中ならありえない豪華な布陣、主力バイトが数名、いや全員主力の時もあります。

それがまさに日比谷スカラ座でのダイハード3の先々行オールナイトでした。オールナイト興行は初日の土曜日の夜以外に、先行オールナイトが一週間前の土曜日の夜に上映(日中は別の作品を上映)、先々行オールナイトは2週間前の土曜日の夜に上映。

通常のオールナイトでさえ日比谷スカラ座全作品ではないのに、先行オールナイトは話題作、そして先々行は年に1度あるか無いかの作品になります。私の記憶では6年半でダイハード3を含め、片手で数えられる以下だったと思います。

それだけダイハード3への期待が大きかったのでしょう。何せダイハード(1)は名作中の名作でブルースウィルスをスターに押し上げた作品。ダイハード2も大ヒット。それは3に期待します。

1994年の春に大学を卒業した日比谷軍トップのSさんが就職先を数か月で退職し、その年の夏には再び日比谷軍に。ダイハード3の先々行オールナイトのバイトはそのSさん、ジュラシックパークで名実ともに日比谷軍どころか会社のバイトの頂点に上り詰めた私、そして大学生バイト、フリーターなど5名の布陣。流石に歴代の日比谷軍最強とは言えないが当時の最強の布陣。

出戻りSさんが大将である販売1番手を担当し、私は副将クラスが当時担当したビール、アイスコーヒー、ホットコーヒー、烏龍茶を担当。ジュラシックパークでは販売1番手として『テレビに出た方が良いよ』と言われる実力を発揮しましたが、Sさんの復活と共にSさんと組む際は副将クラスでした(しかし、オールナイト以外でSさんと組むことは一切なかったですけどね)。敢えて書きますが、Sさんは販売をやらせたら超一流。指示を出すのも超一流。しかし、作り担当の経験がほぼないのでポジションがどうしても販売に決まってしまう。その点販売も作り担当でもゴールデングラブ賞の私とは違います。

つづく

明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。