2018年2月9日金曜日

ニューヨーク

こう見えても帰国子女なんです。

ニューヨーク時代の筆者。何故か上半身裸。。。。


1974年に大阪で生まれたのですが、1979年の3月は商社マンの父の転勤で米国ニューヨーク市へ引っ越します。当時4歳です。本来ならこの年の4月から幼稚園に行くはずでした。

当時は関空もなかったので、伊丹空港から成田(当時は新東京国際空港)に国内線で飛び、一泊し、次の日のJALのニューヨーク行きに搭乗。 窓から見えるアリューシャン列島を覚えております。当時は直行便ではなく、途中アラスカ州のアンカレッジ空港で給油。
そしてニューヨークの玄関口、ケネディ空港に到着。先にニューヨークに赴任していた父が空港まで迎えに来てくれました。

この時人生で初めて黒人を見ます。白人も初めてだと思いますが、白人より黒人のインパクトは大きく、「うわ、黒い人がいる」と言う衝撃でした。しかし4歳で黒人と接したのでその後は一切黒人に驚くことはなく、黒人がいる生活が当たり前だと感じております。なので今でも白人6割、黒人2割、アジア系2割が一番落ち着きます(笑)。

大阪時代は枚方市の普通の団地に住んでおりました。しかも樟葉駅から離れております。なのでアメリカ、それもニューヨークなら凄い所に住むんだろうなと母姉と期待していたら父が運転する車が着いたのはクイーンズ区フラッシングの3階建ての長屋風の建物。表玄関から入るとそれぞれの階にアパートが一軒ずつ。一階は大家さんのご両親。二階が大家さん一家。そして三階が合田一家の住まいとなります。大家さんはギリシャからの移民の一世。ニューヨークに移住し、成功した後にご両親を呼び寄せたみたいです。この年配のご両親には大変にお世話になりました。

週に一回のペースでお宅の呼ばれ、おやつを頂く。おばあちゃんはよくしゃべるのですが英語は全くダメなので一方的にギリシャ語で話しかけてきます。こちらもギリシャ語なんか一切分からないのだが話は聞く。そうすると何となくわかるようになるんですよ

ニューヨークに引っ越して半年近くは家にいる日々で、1979年9月に徒歩7分の公立幼稚園に通います。ここは小学校も併設。
PS 22

つづく


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明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。