日大の中で一番ベールに包まれており、私の卒業したところです。
第二期生として入学したのですが、まだ二年目ということで創成期でした。
インターネットもない時代ですし、全く国際コースの情報はなし。
文京区の日大豊山からの内部進学でしたが、国際コースに進学したのは私一人だけ。
入学式の後にすぐに宿泊での研修旅行がありました。確か那須塩原です。こういうイベントのお陰ですぐに友達ができるのも有難いです
一年時のクラスは54名。この54名は二つの組に分けさせられます。1組と2組であり、私は1組でしたが2組の連中は土曜日の授業がありました。
英語実力テストでクラス分けがされます。A、B、Cの3つに英語の成績によって振り分けられます。私はAクラス1組でした。
経済学科もそうなのか知りませんが、国際コースには名簿がありました。
入学は1993年4月ですが、その名簿1994年12月作成でして、
この時点で何人か消えております。
学生に番号が振られておるのですが、例えば私は26番なのですが25番がなくその前は24番です。ということは25番の学生(S君だと思いますが)は2年の時には既に国際コースを辞めていたと。辞めると退学ではなく、国際コースから経済学科に転籍です。逆に経済学科に入学し、2年時に国際コースに転入してきた学生もおりました。
4番も空欄なのですが、ここは確か入学の時点で空欄でしたね。最初から入学しなかったのでしょう。さて名簿を見ていきましょう。
まず1番は同じ黒沢ゼミでゼミ長だったH君!彼は英国の寄宿タイプの日系高校からの指定校推薦だったかと。彼もAクラスでしたが組は2組だったかと。2番は別の英国の高校からのO君。彼は1組でしたがBクラスだったかと。3番はH君で米国のローカル高校出身。勿論Aクラスで1組だったですな。ここまで帰国子女扱いの入学組です。ここまでなんと全員男です。
5番から14は指定校推薦入学組。そう高校の成績が優秀な人たちばかり。基本的に女の子ばかりです。しかし、 Aクラスは不在!指定校推薦なのに英語はイマイチだったということでしょうか?
そして15番からが日大の付属生です。正直この連中は諸刃の剣です。前にも書きましたが経済学科よりかは入るのは難しいのが国際コースです。文系の中では当時トップです。
従って付属高校から進学してくる輩は下記のいずれかです:
- 超優秀(日大に行かずに一般受験で最悪MARCHには行けたのではないの?)
- 大学入学後に没落していく(高校の偏差値はとてつもなく高い)
つづく
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