2018年4月2日月曜日

分岐点⑥

一気に首位打者どころか日本新記録の打率を作る私ですが、世の中の評価は違います。

ジュラシックパークで日本劇場に派遣されるまではSさんの後で二番手だったのですが、ジュラシックパークでの戦闘で私は勲章を得ます。しかしあまりにも異次元の世界での戦いであり、他の日比谷軍の方はピンとこないのです。

『合田君が日劇で頑張っているらしい』これで終わりです。何せ日比谷軍のほとんどの人がジュラシックパークの戦闘を経験していないし、経験した私と接していない。

それまではバイトが終われば飲みに行っていたりしたんですがこの時だけは即帰宅。帰宅後夕飯を食べ、即就寝。朝早く起きて日劇に行く。これの繰り返しでした。

よく考えたら大学一年時の夏にバイトばかりし、全く遊んでいません。サークルにも入っていなかったですし。人間関係的には失敗したと思いますが、その後の人生でいい勉強になりました。何故ならプラハではいきなり日本人ガイドさんをアサインする担当になり、まさに日比谷軍6年半の用兵実績が役に立ちます。

ジュラシックパークでの実績もあり、その翌春、上野公園での売店オープンの際に再び私が派遣されます。正直これが一番の地獄でした。当時珍しいある豚まんを販売し、これがバカ売れするのですが、映画館の売店と違い、上野公園(確か動物園の入り口の手前)の売店はいつ何時お客さんが来るかもわからない戦闘状況です。ここに花見というクソ忙しい時期に私が派遣されます。

流石に上野公園の場合、東京宝塚劇場までタイムカードを押しに行かず、上野の映画館内の事務所で押しておりました。いや、本当にこの上野公園でのバイトは苦痛で、山手線で上野駅で降りるのが苦痛で仕方なしでした。
 
この時期ぐらいから日比谷軍でも私の存在が浮き出します。大学二年の夏に国際コースのT君と全米周遊旅行。3年の夏にはK君と欧州旅行。この当時海外に行く奴なんか少なく、Sさんでさえ日比谷軍に入る前に数か月イギリスに短期留学がある程度。そんな中、私は海外にバンバン行っており、浮くのは至極当然。

因みに大学を卒業し、就職し、日比谷軍を辞めたSさんは就職先の先物取引会社を数か月で辞め、その年の夏に復活します(笑)。この復活はある意味彼の分岐点でもあります。

終わり

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明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。