2018年4月19日木曜日

先々行オールナイト

6年半のバイト生活で一番凄かった戦闘は間違いなく1995年6月のダイハード3の先々行オールナイト興行でした。

 オールナイト興行をご存知ない方に説明すると普通の上映は午前に1本目が 始まり、そこから上映時間に応じて繰り返し上映され、最後は19時ぐらいに最終回が上映スタート。しかし、人気(話題)作品だと土曜日にさらに3回上演します。21時半過ぎ、零時前、そして3時ごろ。最後の上映が終わると始発の電車で帰宅できることになります。オールナイトだとどこか遅くまで遊びに行ったり、飲みに行った後でも鑑賞可能。

今はシネコンが主流で、同じスクリーンで繰り返し上映はないでしょうが、当時はシネコンはあってもスクリーンごとに上映する作品は決まっておりました。
例えば日比谷スカラ座、日比谷映画、みゆき座と3館あった場合、同じ日には映画作品は3作品しか上映しない、一つの映画館で一つの作品でした。

レイトショーは当時の日比谷界隈ではなかったですが、人気作品になるとオールナイト興行をやっておりました。大抵初日の夜でしたが。バイトは何故オールナイト興行の場合は現金で6000円貰っておりました。22時まではタイムカード、22時からラスト(大抵3時)までが6000円。当時は労働基準法の関係で18歳以上の男性しか22時以降は働けず。契約社員さんは女性ばかりだったので契約社員さんは22時で終了。その後は男性バイトのみ残ります。私は16歳から始め、満を持して18歳(高校三年の時)の時に初オールナイトでした。

オールナイト興行と言っても混むのは一回目の21時半過ぎの回。その先は減っていくばかりで最後の3時ごろの回の場合は何も作り置きをせずに来たら対応という場合が多かったです。バイトはその日の朝から出勤し、そのままオールナイト興行に残る者が主流。しかし、日比谷スカラ座でオールナイト興行でも日中は日比谷映画やみゆき座にいたバイトもおります。

オールナイト興行のバイトはその特性から新人は不可。ある程度の日中のバイト経験があり、全てオールマイティさを求められます。日中ならありえない豪華な布陣、主力バイトが数名、いや全員主力の時もあります。

それがまさに日比谷スカラ座でのダイハード3の先々行オールナイトでした。オールナイト興行は初日の土曜日の夜以外に、先行オールナイトが一週間前の土曜日の夜に上映(日中は別の作品を上映)、先々行オールナイトは2週間前の土曜日の夜に上映。

通常のオールナイトでさえ日比谷スカラ座全作品ではないのに、先行オールナイトは話題作、そして先々行は年に1度あるか無いかの作品になります。私の記憶では6年半でダイハード3を含め、片手で数えられる以下だったと思います。

それだけダイハード3への期待が大きかったのでしょう。何せダイハード(1)は名作中の名作でブルースウィルスをスターに押し上げた作品。ダイハード2も大ヒット。それは3に期待します。

1994年の春に大学を卒業した日比谷軍トップのSさんが就職先を数か月で退職し、その年の夏には再び日比谷軍に。ダイハード3の先々行オールナイトのバイトはそのSさん、ジュラシックパークで名実ともに日比谷軍どころか会社のバイトの頂点に上り詰めた私、そして大学生バイト、フリーターなど5名の布陣。流石に歴代の日比谷軍最強とは言えないが当時の最強の布陣。

出戻りSさんが大将である販売1番手を担当し、私は副将クラスが当時担当したビール、アイスコーヒー、ホットコーヒー、烏龍茶を担当。ジュラシックパークでは販売1番手として『テレビに出た方が良いよ』と言われる実力を発揮しましたが、Sさんの復活と共にSさんと組む際は副将クラスでした(しかし、オールナイト以外でSさんと組むことは一切なかったですけどね)。敢えて書きますが、Sさんは販売をやらせたら超一流。指示を出すのも超一流。しかし、作り担当の経験がほぼないのでポジションがどうしても販売に決まってしまう。その点販売も作り担当でもゴールデングラブ賞の私とは違います。

つづく

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明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。