原子爆弾の投下には大きく、三つの条件があったらしいです。
- 大きな都市圏にあり需要な都市で、市街地が直径4.8キロ以上 。
- 爆風によって効果的な衝撃を与えられること
- 原子爆弾の効果を測定するために1945年8月まで空爆しないこと
そしてその中で選ばれた候補地は5つ。
- 京都市
- 広島市
- 横浜市
- 小倉市(現在の北九州市の一部)
- 新潟市
第一候補は京都市だったらしいですが、米軍のお偉いさんの一言でリストから消されます。その理由は明白。歴史的にも学術的にも非常に大事な寺院が多くあること。
まさにこのリストはプロ野球のドラフト会議と同じです。投手が欲しい球団、野手が欲しい球団、即戦力が欲しい球団、高校生の逸材重視が欲しい球団。一位が何かの理由で排除されると二位に行くしかない。
8月6日の早朝に何を積んでいるか詳しくは聞かされていない乗組員を載せたB29爆撃機のエノラ・ゲイは日本から奪ったサイパンの近くのテニアン島の飛行場を飛び立ちます。その数時間後、エノラ・ゲイは日本の防空圏内に侵入。広島にも空襲警報が鳴り響きます。 しかし、広島は上記の条件通り、空襲には遭っておりません。8月6日以前にも何度も空襲警報が鳴ったのですが、一切の空襲から逃れております。飛来したのは偵察機だったと言われております。偵察機はどの時間帯に一番人々が外にいるかを調査していたと言われております。
エノラ・ゲイは日本の対空砲火、迎撃機を交わし、広島市に侵入。そして相生橋を目印に目視で搭載のウラン製の原子爆弾、リトルボーイを8時15分17秒に投下。43秒後、島病院の上空で600メートルで核分裂反応を炸裂。
その先は皆さんのご存知の通り。凄まじい閃光が起こり、その瞬間に何万という市民が即死。そしてその後は自然界ではあり得ない爆風でこれまた何万の市民が即死。その後は放射能の影響で死者をこれまた何万人にも出します。
当時広島市の中心部にはチェコ人の建築技師、ヤン・レッツェル作の広島県産業奨励館という建物がありました。 この建物は奇跡的に爆風から全壊を逃れました。
広島県産業奨励館の現在はユネスコの世界遺産、負の遺産の一つ、原爆ドームとして現在も広島市に在り、近くに広島平和記念公園があります。
下記が私は日本大使館で講演した時の資料です。
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原爆を投下する都市の選別 |
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原爆投下の候補地 |
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1945年8月6日 |
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