当日判明したのがクラス全員同じ教室で試験を受けるのではなく、教室ごとに決まった定員がおり、その定員で試験を受けることになります。その為、出席番号の初めのクラスメイトは隣のクラスに行かされ、受験。そうなると必然的に席が変わります。
今まで私の近くだったクラスメイトが一列ずれる。その際の断末魔的な悲鳴は今でも記憶しております。しかし、安泰なのは私の前のK君と後ろのK君。彼らに羨望のまなざしが向けられます。
日大の統一テストは4教科。文系は英語、国語、数学に社会の日本史、地理、世界史、政経倫理。私は二年時から文系のクラスにいき、地理が得意なので日本史・地理の授業(クラス)を選択。しかし、地理が得意な生徒は少なく、ほとんどが日本史を選んでいた記憶があります。後ろの席のK君も日本史で受験で申告済み。
しかし、当日の社会科の試験問題は地理や日本史、世界史で別けるのではなく、地理も日本史も世界史も政経倫理も同じ問題用紙から出題。従って実際の試験問題を見て、回避し、別の科目で回答してもOKな制度。こうなると何故に事前に申告するのか謎です。
後ろの席のK君は当日私が地理を選択したので日本史を回避。地理を選択。これには担任のM先生も『おいK。おまえ日本史で受験だったよな?なのに地理を選んだのか? 』と苦言を呈しました。しかし、クラス全員が何故にK君が地理にしたのかは誰も声に出しませんでしたが、理解しており、正直M先生も分かっていたと思います(笑)。因みに私の前の席のK君はいい奴だったので英語の答えを教えてあげました。その方法はここでは書きませんが、このK君も地理受験をしたK君も一発で日大に進学できました(笑)。
テストの成績は点数ではなく、偏差値化されます。私の記憶では英語と地理はそれぞれ75に近く、この二科目で150ほど、国語も数学も60越えで、国数で125ほど。英国数地理で合計270は超えておりました。
この統一テストの成績と内申点の平均を以って進学できるか決まります。内申点の平均が4.3以上か3.5以上か。3.5が最低ラインで4.3あると医学部も狙えます。しかし、日ごろの成績、特に漢文や古典が苦手だった私はこれらの科目が足を引っ張り内申点の平均は4.2。豊山高校でトップの偏差値合計を叩き出したのに内申点で行ける学部学科を選考します。
試験後、第三希望まで書き、提出。各学部学科には付属生の定員があり、成績上位者からピックアップしていく。勿論、学部学科にも優劣というか難易度があり、確か経済学部経済学科は偏差値合計が220以上でないと出願できない。
日大はマンモス大学で文系の学部は法学部、経済学部、商学部、文理学部、国際関係学部と数が多いです。正直行きたかったのは国際関係ですが、静岡県三島市にキャンパスがあるので即回避。高校一年夏からバイトをしていたバイト先を辞めるつもりもなく、しかも高校から私学で一人暮らしをすることで親にさらに負担をかけたくない。商学部と文理学部は最初から行く気が起きず。そこで法学部にしようかなと思いましたが一年時は大宮に通わないといけない。
そんな時担任のM先生に呼ばれます。
『合田、経済学部に今年から国際コースというのができ、来年2年目だが、まだうちの学生が行っていない。英語を専門にやるコースでお前は英語ができる。だからお前、行ってみないか?』と言われます。
日本大学経済学部経済学科国際コース。
国際関係学部ではなく、何故か経済学部にある。しかも国際学科でも国際経済学科でもない。単なる経済学科のコースであるが、経済学科には国際コース以外にコースは存在しない。そして私は断言する。東京のある程度有名な私大の中でこれほどベールに包まれているコースというか集団はいない。完全な特殊部隊であります。しかもグリーンベレーでもGSG9でもなく、SATに近い。私は『豊山生の誰も行っていない』というフレーズに心が躍り、先生の言う通り経済学部経済学科国際コースを第一志望として出す。第二希望は経済学部経済学科、第三は経済学部産業経営学科にしました。因みに国際コースという存在は他の生徒は知らないので国際コースで出願した豊山生は私だけだったと思います。
国際コースの出願条件は内申点平均3.5以上、偏差値合計が235程度だったと思います。270の私は完全に余裕であり、先生が『念のため第三希望も書いておけ』と言いますが、『先生、俺が落ちたら豊山の誰も日大に行けませんよ』と反論したのを覚えております。
そしてめでたく日本大学豊山高校から初の経済学部経済学科国際コースに進学した生徒になります。私の学年は暗黒期で、クラスメイトで一発で昼間の四年生の学部学科に行けたのは10名ほど。あとは二次試験や夜間、短大へ。多分クラスの半分近くはエスカレーターで日大に行けずでした。
近いうちに特殊部隊、国際コースについても書きます。
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