2018年7月10日火曜日

ドカベン

あのドカベンが遂に完結しました。

野球漫画でトップ3は
  • 巨人の星
  • タッチ
  • ドカベン
これで問題ないでしょう。巨人の星は魔球、タッチは恋愛、そしてドカベンは野球に焦点を当てていました

ドカベンの偉大さはキャラクターにあります。主人公は山田太郎ですが、悪球打ちの岩鬼正美。小さな巨人の里中智。そして秘打と言えば殿馬一人。そしてライバルには白新高校の不知火守、通天閣打法の坂田三吉、横浜学院の土門剛介。東海高校の雲竜。クリーンハイスクールの影丸、フォアマン。青田高校の中西球道。土佐丸高校の犬飼三兄弟。

当初は女性のキャラクターと言えば山田太郎の妹のサチ子だけでしたが、その後は岩鬼の恋人の夏子さんと登場し、里中は追っかけのファンがいるのに恋人無し。その里中もプロ野球編でサチ子と結婚します。

ドカベンのうんちく

①岩鬼は金持ちの家に生まれるが、実家は明訓高校在学中に倒産する。
②クリーンハイスクールの影丸のお姉さんと岩鬼の兄が夫婦。
③岩鬼は関西生まれではないが家政婦の影響で関西弁となる
④岩鬼は昔は悪球打ちではなかった。ランナー満塁でも敬遠されだしたので敬遠球でも打てるようにと悪球打ちになった
⑤山田太郎の両親は事故死している。一家での旅行先でバスが事故に遭い、その際山田はサチ子を抱いていたのでサチ子も助かる。
⑥山田は中学時代に東郷学園の小林投手の目をホームへのスライディングで怪我させ、そのため一時野球から離れる。尚、里中は小林投手の控えだった。
⑦里中は母子家庭で、体調がすぐれない母親を持つ。母の医療費を稼ぐために高校三年時に退学し、ゴルフ場でキャディをする(実際には退学扱いになっていない)。
⑧殿馬は天涯孤独。しかし、プロ顔負けのピアニストであり、ピアノを弾くために両手の水かきを撤去する手術もしている。
⑨殿馬は海外のピアニストに惚れられ、野球を辞め、海外に行こうとするがその便がハイジャックされる
⑩微笑三太郎は最初から明訓高校にいない。1年の秋に転校してくるのだが、彼は土門がいる横浜学院に入るつもりが間違って明訓に来る。間違いに気づくが彼はそのまま明訓高校に入学する。
⑪土井垣は山田らの2年先輩であり、神奈川県どころか全国に知られている強打者であったが明訓は甲子園には出ていない。土井垣は最初捕手で4番だったが、山田にポジションを奪われ、一塁に回る。しかし4番の座は死守する。
⑫土井垣は日ハムのドラフト1位指名を受けるが明訓高校が負けるまでは入団しないということでそのまま明訓高校の監督になる。しかし、山田が二年時の夏、2回戦で岩手代表の弁慶高校に負け、日ハムにシーズン途中に入団。なので実質1年しか監督経験がない。
⑬土井垣と三太郎は一緒にプレイしていない。三太郎が最初から明訓に入団なら、もっと凄い打線になっていただろう。因みに三太郎も元捕手。彼がどこの高校から転校してきたかは不明。
⑭三太郎は当初、大車輪の活躍をするがその後はお決まりの咬ませ犬扱いに。
⑮山田が一年時の監督の徳川監督は当時は名伯楽でもなんでもない。しかし、明訓での活躍が評価され、その後信濃川高校やクリーンハイスクール、室戸学習塾等を甲子園に導く。勿論徳川監督が山田や里中をスカウトしたのではない。
⑯土井垣の後を継いだ大平監督は明訓高校の教師で野球は素人。しかし、彼の息子・洋は弁慶高校を破って甲子園に出場し、明訓相手に好投する。
⑰山田の一年時の神奈川県の最大のライバルは東海高校の雲竜だったが1年秋から横浜学院の土門になり、そして3年時から白新高校の不知火にシフト。その不知火も山田顔負けの打撃センス。 しかし、不知火とは毎回対戦するお決まりであり、逆に土門対不知火、不知火対雲竜とかも見てみたかった。
⑱全国のライバルと言えば通天閣打法の坂田三吉。彼も祖母との長屋生活。明訓が弁慶高校に負けた大会で全国制覇をする。
⑲貧しい・家庭環境が厳しい球児が多いのに何故か皆私立高校に所属。山田も祖父と長屋生活で、どう見ても野球推薦で入学ではないので特待生ではない(もちろんその後の活躍で学費は全額免除だろうが)。里中も同じ。金持ち風なのは影丸と倒産前の岩鬼ぐらい。土佐丸の犬飼兄弟と土門は貧しくはないと推定。
⑳国体の描写がない。春季の関東大会もない。土井垣が辞めなかったので山田らは一年の夏から二年時の夏までは無敗となる。

作者の水島新司は貧しい家庭設定ということで反感を買うのを避けたのだろうが、多くの矛盾を生み出しましたね。キン肉マンとドカベンは矛盾の双璧です。



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明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。