2018年10月28日日曜日

100周年①

2018年10月28日はチェコスロバキア建国100周年でした。

第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で宗主国のオーストリア=ハンガリー帝国から独立するのですが、チェコもスロバキアも植民地になる前は別々の国で、一度もチェコスロバキアの経験がないのです。

1918年10月28日にチェコスロバキアになるのですが、意外にも分裂は早く、1993年1月1日にはそれぞれチェコ共和国、スロバキア共和国になります。

チェコ人もスロバキア人もスラブ系の民族であり、言語もスラブ語系なのですが、文化は違い、スロバキアは長年オーストリア=ハンガリー帝国でもハンガリーの影響が強く、いまだにスロバキア国内にハンガリー系の国民は沢山おります。しかし、チェコはオーストリアの影響が強く、チェコ国内にハンガリー系の国民は少数派でした。

民族自決という国際的な考えのもとに独立するのですが、ベルサイユ条約は正直第一次世界大戦の敗戦国の領土の解放ではなく、開放です。チェコの中心都市は14世紀には欧州で三番目に大きな都市となるプラハですが、スロバキアの中心都市はブラチスラバは正直1993年元旦まで表舞台に出てきません。プラハは英語だとプラーグ、ドイツ語でプラグという呼び方ですが、ブラチスラバの旧ドイツ語の名称はプレスブルグであり、全く別都市に聞こえます。

スロバキアの人口は500万人を超え、欧州連合の加盟国としてはある程度の人口があるのですが、国際路線の少なさで有名です。その原因は簡単です。チェコスロバキア独立後にチェコスロバキア航空が設立されるのですが、このチェコスロバキア航空が長年チェコスロバキアのナショナルフラッグでした。

詳細の資料はないのですが、チェコスロバキア時代にブラチスラバと結ばれていた国際路線(チェコスロバキア国内の路線以外なのでプラハ便も含まない)は一つもなかったのではないかと思われます。もしあってもそれは旧東欧、ワルシャワ条約機構加盟国との路線なので民主化後は需要がなくなり、廃止になった可能性が高いです。

因みにチェコスロバキア航空はチェコとスロバキアの分裂の際にはすぐに名称が変更になったのではなく、1995年5月までチェコスロバキア航空として運行され、その後チェコ航空とスロバキア航空になるのですが、この際一機もスロバキア航空に引き継がれることがなく、チェコスロバキア航空時代のロシア製の機体は売却か引退となり、チェコ航空はボーイングやエアバス社製の航空機を導入。

チェコ航空はチェコスロバキア航空時代の路線を多く継続するのですが、スロバキア航空はなんと2006年にはブリュッセル便とモスクワ便のみの運行。プラハ⇔ブラチスラバはチェコ航空のみの運行。そしてスロバキア航空は2007年に倒産します。その後LCCが何社か登場するのですがどこも上手くいかずで2018年の時点でスロバキアの定期航路を運航する航空会社はなんとゼロ。アイルランドのライアンエアが頑張っておりますが、なんとパリ、フランクフルト、アムステルダムなどの欧州主要都市への路線は皆無。LCCではない航空会社の路線はプラハとジョージアのトビリシのみ。これは欧州連合加盟国の主要空港ではあり得ない数です。

しかし、原因はこれまた簡単です。すぐ隣にオーストリアのウィーンがあるからであり、ウィーン空港からどこへでも行けます。その為ライアンエアはブラチスラバをウィーンの空港扱いしております。ブラチスラバ中心部からウィーン空港までは約50キロ、50分。ウィーン空港からウィーン中心部まで20キロ、20分です。ブラチスラバ中心部からブラチスラバ空港までは10キロ、10分。

しかし、ウィーン中心部からブラチスラバ空港まで90キロ、1時間なのでビジネス客には遠すぎますね。因みに、東京駅から茨城空港までが95キロ、1時間半。従って超近いわけではないんですよね。従ってウィーンに行く旅行者がブラチスラバ空港を選択するのは少数派でしょう。

ブラチスラバ空港の利用者は1997年の時点で28万人台。2005年には132万人台に伸びます。そして2008年には221万人台へ。しかしその後減少し、2014年には135万人台まで下落。しかし2017年には194万人まで回復。尚、プラハ空港は2017年度の利用者は1541万人。 この差は約8倍。人口差が約3倍、ウィーン空港が近いことを除いてもプラハ空港との差は歴然です。

つづく

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明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。