2019年5月28日火曜日

日英ガイド①

事の始まりは1月末に一通のメールが来たことから始まります。

友人の日本人のガイドさんからであり、日本語と英語でガイドをできないか、という内容でした。ご本人に依頼が来たのだが都合が悪く、私に代わりにできないかと。

日本人のガイドさんはプラハに沢山いますが正直英語でも案内できるレベルとなるとかなり限られます。日本人は母国語の日本語は問題ないですが、英語は外国語であり、チェコの公用語はチェコ語。基本的に日本人で日本語と英語の両言語で日本国外でガイディングできる方は英語圏以外ではほぼいないと思います。

ガイドは知識はもちろん、その言語レベルが非常に大事で、クレームのほとんどは知識ではなく、言語レベルです。しかもプラハ在住の日本人ガイドで日常的に英語でガイディングもする方は皆無であり、チェコ人でもいないと思います。というのも日本語の方が時給は高いのでわざわざ英語の仕事を受けないからです。しかも日本人が日本国外で母国語以外で案内すること自体非常に稀かと。

私は1974年に大阪府で生まれ、1979年の3月には父親の仕事の関係でニューヨークに引っ越しており、そこで5年間、現地校と補習校に通っておりました。その当時から地理が好きで、全米の州都は勿論、ヨーロッパの首都まで暗記するほどでした。帰国し、英語とは無縁の生活でしたが、5年間の貯金で英語に困ることはなく、大学は付属校の内部試験で日本大学経済学部経済学科国際コースというベールに包まれているところに入りました。

自慢になりますが日大豊山高校時代は文系の模試では学年で1、2番の成績であり、英語と地理では全日大の付属校の上位だった筈です。日大の全付属高校の全生徒が受ける統一テストで高得点をマークをし、進路をどうしようかなと思っていた矢先、担任の先生に「合田、経済学部に国際コースが今年できてまだうちの高校からは誰も行っていないのでお前行け」と言われました。

元々文系であり、数学に興味はなく、法学部を考えていたのですが、4年間水道橋の校舎だったので経済学部に行こうと思っていたところでの先生の発言でしたので迷いなく、志望を経済学部経済学科国際コースと書きました。先生には第二志望も書いておけと言われましたが「先生、俺が第一志望を落ちたら誰もどこも入れませんよ」と言った覚えが在ります。

閑話休題

仕事の依頼は5月中旬の某日で8時間のガイディング。1月末の時点で何も無かったですし、 内容的に面白うそうでしたので快諾しました。因みに英語でのガイディングは数年前に下きりであり、日本語も2017年以来の依頼です。

しかし困ったことに日が経つにつれ、仕事が舞い込んできます。まずはこのブログでも書いたカンヌ映画祭関連です。そして日本の人気バンド、ワンオク、One Ok Rockの手配です。

プラハ在住の日本人に限らず、大体私の周りの知り合い・友人は私が何をやっているかご存じないと思います。1997年3月に大学卒業式を前にプラハに来て、プラハの旅行会社に経験なしに入り、そして2000年の秋にはチェコ人と会社を興します。その会社、Carrowは凄いことに未だに存続しております。ミニバンでの送迎から始めた会社はいつの間にかチェコでゴルフをしたい外国人の手配、そしてジャパンレールパスの正規代理店に。しかし、未だに私は基幹ビジネスは通称「護送」である、送迎だと思っております。

2000年当時、バス会社は存在しても個人旅行者をターゲットにした送迎会社はプラハに存在しておりませんでした。しかもわが社はミニバンにまず特化しました。因みにプラハ空港からホテルまでのセダンによる送迎は20年以上が経ちましたが料金は1997年よりかなり下がっております。

つづく

尾瀬国立公園

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明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。