2018年4月7日土曜日

査証

日本語には正式な日本語名があるのに外国語名、特に英語名の方が認識されている単語が多い。

その代表格はパスポート。正式には旅券だが、パスポートという単語を知っていて旅券という単語を知らない日本人は多く居てもその逆はいないでしょう。

しかも不思議と日本人はパスポートを何故か短縮形で言わない。誰もパスとは言わないし、ポートとも言わない。パスポとも言わない。

 他にはロープウェイ。正式には索道であり、誰も日常は使いません。 因みにロープウェーは和製英語です。あとガイドもそう。案内人とは誰も言わないです。因みに旅行業界では当たり前のアシスタントは日本語名は皆無です。補助員だと変ですしね。

逆に外国語名が普及しない例もあります。その代表例は搭乗券。英語だとboarding passですが、搭乗券の方が使われております。他にはトラム。日本国内を走る路面電車、市電のことをトラムという日本人はほぼ皆無です。

査証という言葉も多くの方はビザという外国語を使っております。そして日本人が査証、ビザなしで行ける国は154か国(空港到着時に取得できる国は除く)。巷では世界最強の旅券と言われ始めましたが、果たしてそうなのか?

ウィキペディアで調べると意外なことを発見します。旧ニュージーランド領、現在はニュージーランドと自由連合を組むクック諸島ニウエはビザなしで行けるのに自治領のトケラウにはビザが必要。

あとポリネシアのピトケアン島。英国領だが、ビザなしで滞在できるのはなんと14日間のみ!陸の孤島と言われているピトケアンだけに交通は不便だし、航路しかない。悪天候とかで船が着岸できない場合はどうするのか?

逆に日本が査証を免除している国は68か国と地域。その中で特色なのはアフリカでビザ免除の国は三か国のみで、それもチュニジアモーリシャスレソト!モーリシャスはいいとして、チュニジアは意外だし、レソトに至っては国自体知らない人も多い!
南米もアルゼンチン、ウルグアイ、チリとスリナム!スリナムはOKでガイアナはダメ。中米に目を向けるとニカラグアとベリーズだけは必要!グアテマラやホンデュラスとニカラグアやベリーズの差はどこにある!しかもニカラグアもベリーズも日本人に対しては免除なのに。

カリブ海もなんとバハマバルバドスドミニカ共和国のみ不要。トリニダード・トバゴ人は必要なのに彼らより貧しい筈のドミニカ共和国人は不要。

外務省職員のうち何人がレソト人はビザ不要と答えられるのか?



2018年4月6日金曜日

鉄道

私と鉄道の出会いは意外と遅く、小学校5年生の時です。

同じマンションの同級生のM君の影響でNゲージを始めます。


秋田新幹線と東北新幹線
それから急に目覚め、小学校の時には一人で愛媛県に住む祖父母宅にも行っております。
当時は瀬戸大橋がまだなく、宇高連絡船経由でした。

ニューヨークにいると列車に興味を持つことはほぼあり得ません。ニューヨークの小学校では地理関係の本を多く読んでおり、全米の州名から州都を覚え、その先は欧州の国名と首都を覚え、その先は世界の国名と首都を覚えていきました。

日本に戻ってから47都道府県名と都道府県庁所在地を覚える。その次は47都道府県の都市を覚える。その為、私の鉄道好きには地理好きというバックボーンがあります。

M君の影響でNゲージを始めても、そこまで深い趣味にはならず。未だに列車の車種はよく理解しておりません。その為、タモリ倶楽部で鉄道ネタでも私のストライクゾーンど真ん中とは限りません。

車掌にはなりたいと思っても運転士になりたいとは一度も思ったこともございません。車掌になりたいのもドアの開閉、停車駅のアナウンスに興味があるからです。特にドアの開閉は日比谷の映画館でバイトした経験からで、いかに人を捌くか、です。

意外かもしれませんが、SLには全く興味なし。路面電車にも興味はございません。基本的に日本の鉄道がメインで、しかもJR、しかも地方路線。それと廃線になるから乗りに行くというのもございません。

そして世界の車窓を見ても興奮しません。


2018年4月5日木曜日

駐独日本大使館

ドイツの首都、ベルリンにあります日本大使館はヒロシマ通りという通りにございます。


先月、その日本大使館に招待される機会がありましたのでお邪魔しました。
プラハの日本大使館には何度も行きましたが、流石先進国、EUの雄、ドイツの日本大使館だけある凄く立派な建物です。

大使館の警備は流石にチェコ以上です。まずは門でIDのチェック。
そして回転ドア(NYの地下鉄にあるような反時計回りでしか回らないやつ)を通り抜けると空港と変わらない本格的な手荷物検査。

在ドイル日本大使館
建物の外もそうですが、中にも圧倒されました。そして警備上撮影制限があります。
他の参加者は守ったかどうか知りませんが、私は許可されたところのみでの撮影です。

八木駐独大使の挨拶
 まずは講演会からスタートでしたが、八木駐独大使の挨拶でスタート。堅苦しい内容ではなく、意味のある内容のご挨拶でした。

JR東日本パリ事務所所長のプレゼン
その後はJR東日本や北海道の職員さんなどのプレゼンがあり、ドイツの人気ブロガー女性の講演もありました。しかし謎なのが招待客は日本人以外はドイツ人なのに何故か英語で講演。しかも自我撮りの写真ばかりをアップし、内容もごく普通の内容。

その後質疑応答の時間なのですが、ドイツ人からの質問ではなく、何故か日本人二名からの質問。一人目はジャーナリスト、二人目は日系旅行会社のドイツ支店の支店長。しかもこの支店長の質問は痛かったです。

ボランティアガイドが少なすぎるという今回の講演会と関係のなさそうな内容。というかプラハもロンドンもニューヨークもボランティアガイドなんかいませんよ。旅行会社がちゃんとお金を払ってプロのガイドを雇います。
全国通訳案内士としては非常に癪に障る質問であり、あまりにもしつこかったら手を挙げて自分の考えを言うところでした。

その後は美味しい料理を堪能! 凄い寿司がでました!
しかし、こちらは仕事だったので料理は最小限でしか堪能できずなうえ、他の参加者とはあまり会話ができず。

しかし!八木大使の方から話しかけてくれました!しかも全国通訳案内士に関心!


プラハに21年住んでおりますが、歴代の駐チェコ大使と会話をしたことは一度もございません。大使館のパーティーに呼ばれたのは21年で2度。昨年の今ごろは訪日関係の仕事はゼロだっただけに、今後は呼ばれても良い筈なんですけどね。でも、呼ばれないだろうな~

因みにベルリンの日本大使館の隣はイタリア大使館日独伊三国同盟の際には強力な絆だったことが容易に分かります。

2018年4月4日水曜日

オーステンデ③


オーステンデの塔

オーステンデの目抜き通り
オーステンデの広場にあるステージ?  
立派なアパートが並んでおります。
オーステンデのビーチ。北海です。

ビーチの前に建つ高そうなアパート

ベルギーと言えばフライドポテト・ソースはサムライソース。
このサムライソースは謎です。マヨネーズベースで且つちょいと辛め。
ベルギーではここだけではなく、ほかでもサムライソースはございます。

オーステンド駅

寒いので1時間ほどでブリュッセル空港へ移動。一等車ではまたまた二等車の乗車券で乗車していた英国系の旅行者が車掌に追い出されておりました。

生ビールとポテトチップス
 まだまともな値段です。因みにプラハ行きの便は1時間以上遅れ、くたくたで帰宅しました。

ボーイング737の安全のしおり

 行きはプロペラ機、帰りはまさかのTravel Service/Smartwingsの機材!乗務員!
久々にボーイングの737に乗りましたわ。


2018年4月3日火曜日

国民栄誉賞

最近、国民栄誉賞が乱発のような気がします。

元々この賞は王さんが第一号の受賞者。受賞者は基本的にスポーツや芸能面で功績があった方々。
王さんが1977年にホームランの世界記録を樹立後に受賞。その後は亡くなってから受賞の古賀政男、長谷川一夫、植村直己(死亡宣告)と続き、、その後は柔道の山下と鉄人衣笠が生存中に受賞。そして美空ひばりも没後に受賞。

この辺は誰も異論はないと思います。芸能人は没後、スポーツ選手は記録達成後の受賞。

その後、藤山一郎が存命中に受賞したが、スポーツ選手以外は没後の受賞が基本路線。2009年に森光子が藤山一郎以来の存命受賞。

第一号の王さんから第十二号の渥美清まで約20年。20年で12名の受賞が、その後20年の受賞者及び候補は15名。森繫久彌が没後に受賞した2009年12月以来俳優・女優・作曲家・歌手での受賞は皆無。ピンクレディーとかの曲の作詞を担当した昭和を代表する作詞家の阿久悠とか受賞しておりません。ドリフターズで茶の間に笑いを提供し、俳優としても一流だったいかりや長介も受賞せず。興味深いのは落語家も漫才師も受賞していないこと。お笑いタレントはゼロなのです。

個人的におかしいのは長嶋茂雄の存命受賞とゴジラ松井の受賞。長嶋が貰えるのなら400勝の金田や、3000本安打の張本、神様仏様稲尾様の稲尾も貰っていい筈。大リーグで活躍なら先駆者の野茂もいる。阪神監督の金本が連続フルイニング出場の記録を達成しても候補にもならず。因みに王さんは中華民国国籍なので日本人でないとダメだということはない。

相撲では千代の富士と大鵬だけ。国技でこれは寂しい。ボクシングの防衛記録を持つ具志堅用高も受賞しておらず。プロレス界からは力道山も馬場も猪木もなし。漫画界はサザエさんの長谷川町子が受賞だが、藤子不二雄や手塚治虫はなし。

そして囲碁の井山雄太。誰やねん!受賞まで名前も知りませんでしたわ。完全に羽生名人とのバーターでしょう。


正直世界記録を更新した方と五輪連覇は無条件で受賞とし、団体球技優勝は無条件(五輪、W杯、WBC)、芸能人は没後受賞(歌手、俳優、女優、作詞、作曲、タレント)。
貰える基準は紅白出場かミリオンセラー、俳優や女優な日本アカデミー賞を受賞。タレントなら冠番組を20年以上持つ・持ったこと。そして有罪判決を受けていない方。

黒い交際もあったけど、力道山は貰って当然の人物ですね。プロレスからは馬場と猪木も基本路線。具志堅用高も当然であり、金本知憲もそう。

2018年4月2日月曜日

分岐点⑥

一気に首位打者どころか日本新記録の打率を作る私ですが、世の中の評価は違います。

ジュラシックパークで日本劇場に派遣されるまではSさんの後で二番手だったのですが、ジュラシックパークでの戦闘で私は勲章を得ます。しかしあまりにも異次元の世界での戦いであり、他の日比谷軍の方はピンとこないのです。

『合田君が日劇で頑張っているらしい』これで終わりです。何せ日比谷軍のほとんどの人がジュラシックパークの戦闘を経験していないし、経験した私と接していない。

それまではバイトが終われば飲みに行っていたりしたんですがこの時だけは即帰宅。帰宅後夕飯を食べ、即就寝。朝早く起きて日劇に行く。これの繰り返しでした。

よく考えたら大学一年時の夏にバイトばかりし、全く遊んでいません。サークルにも入っていなかったですし。人間関係的には失敗したと思いますが、その後の人生でいい勉強になりました。何故ならプラハではいきなり日本人ガイドさんをアサインする担当になり、まさに日比谷軍6年半の用兵実績が役に立ちます。

ジュラシックパークでの実績もあり、その翌春、上野公園での売店オープンの際に再び私が派遣されます。正直これが一番の地獄でした。当時珍しいある豚まんを販売し、これがバカ売れするのですが、映画館の売店と違い、上野公園(確か動物園の入り口の手前)の売店はいつ何時お客さんが来るかもわからない戦闘状況です。ここに花見というクソ忙しい時期に私が派遣されます。

流石に上野公園の場合、東京宝塚劇場までタイムカードを押しに行かず、上野の映画館内の事務所で押しておりました。いや、本当にこの上野公園でのバイトは苦痛で、山手線で上野駅で降りるのが苦痛で仕方なしでした。
 
この時期ぐらいから日比谷軍でも私の存在が浮き出します。大学二年の夏に国際コースのT君と全米周遊旅行。3年の夏にはK君と欧州旅行。この当時海外に行く奴なんか少なく、Sさんでさえ日比谷軍に入る前に数か月イギリスに短期留学がある程度。そんな中、私は海外にバンバン行っており、浮くのは至極当然。

因みに大学を卒業し、就職し、日比谷軍を辞めたSさんは就職先の先物取引会社を数か月で辞め、その年の夏に復活します(笑)。この復活はある意味彼の分岐点でもあります。

終わり

2018年4月1日日曜日

オーステンデ②

1時間20分ほどでオーステンデ駅に到着。終点で、櫛型ホームの駅でした。ブリュッセル南駅の次のヘントでは少々、ブリュージュでだいぶ下車しましたが、多くの乗客が終点まで乗っておりました。
オーステンデ駅

オーステンデ駅の駅舎

 駅を出たらすぐに海です。

オーステンデのヨットハーバー

そしてこのあたりで聞き覚えがある言語を聞くことに。チェコ人家族2組が同じ列車で到着。彼らはどこから乗車したか分かりませんが、ブリュッセルからブリュージュを飛ばしてオーステンデに来るとはいかにもチェコ人ぽい。何故なら内陸国で海に憧れるチェコ人だからです。

がっつり散策しようと思ったのですがこの日のオーステンデはマイナスの気温。寒すぎます。

とりあえずは教会へ。

オーステンデの聖ピーターとポール教会

 大聖堂ではないのですが、オーステンデ随一の教会で立派なネオゴシックの建物です。日本語のウィキペディアにはオーステンデの見どころはカジノと競馬場としか書いておらずで、英語版だとちゃんと記載。因みに教会の説明は日本語版のウィキペディアにはなし。

日曜日でミサかなと思いましたがミサはその時間に無く、自由に入れました。
オーステンデの聖ピーターとポール教会の内部

オーステンデの聖ピーターとポール教会の内部

 7万人規模でこの教会は凄いですし、内部も立派。プラハの聖ヴィート大聖堂には程遠いですが、オーステンデまで行き、見る価値は十分にございます

オーステンデの聖ピーターとポール教会の外観

つづく

明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。