2018年3月31日土曜日

分岐点⑤

二番手の私が派遣されますが、お陰で武勇伝が発生します。

日本劇場でのジュラシックパーク制圧部隊として日比谷軍から三名派遣されるのですが何故がタイムカードは毎回東京宝塚劇場の事務所まで押しに行きます。

私は西武池袋線で池袋に出て、そこから丸ノ内線に乗り、銀座駅で下車。そこから東京宝塚劇場まで歩き、タイムカードを押す。因みに日本劇場がある有楽町マリオンにも事務所はありましたが私のタイムカードは無いのです。

確か朝の7時半にはタイムカードを押し、そして日劇に移動し、着替え、8時から準備をし、8時半には開場。普通の映画なら朝一番の回は暇なのですがジュラシックパークは違います。朝から本格的な戦闘です。それでも朝の場合、集中してお客さんが来ないのでまだ楽です。しかし、一回目の上映が始まってからが本当の地獄です。

普通なら上映が始まって次の回まで暇だったりするのですが、ジュラシックパークは違います。一回目が終わって30分後に、二回目の上映を観たい人たちを館内に入れます。というのもこの時代指定席が稀で自由席がメイン。その為上映開始時間よりだいぶ前に来る人が多く居ました。従って日比谷軍から派遣の我々は30分後には次の戦闘準備にかからないといけません。何故なら入場してきたお客さんは売店に来るのです。

この日劇での布陣は新人のフリーターさんはディスペンサー担当。一つ上の大学生はアイスコーヒーなどの作り担当。そして販売担当の一番手が私です。若い社員さんが販売担当の2番手で一番年上の責任者が3番手。人選的には非常に弱いのですがこれが日劇軍の限界であり、一番の最高の布陣だと信じておりました。

新人のフリーターさんは計算間違いもあり、販売は弱め。しかし、ディスペンサー担当の力は新人クラス以上。野球で例えるのなら打撃は1割台だが守備はゴールデングラブクラス。絶対にパスボールはしないタイプ。アイスコーヒー担当の大学生も職人タイプで作り置きも追加も任せられるプロ。野球で言うと打撃は2割5分。しかし、守備範囲は広くエラーは少ない。 逆に彼らを販売担当にしたら全滅でした。いかんせん攻撃力が低いので。

因みにジュラシックパークの時点の私は後方支援がメインで、3割バッターだけど首位打者にはなれないし、ホームランも20本台。守備は良くて、ゴールデングラブの常連。侍ジャパンレギュラーだけどクリーンアップはどうかな程度の実力。しかし、ジュラシックパークで販売担当の一番手になり、打撃でもいきなり首位打者どころか歴代最多安打、最高打率を樹立するだけの活躍をします。 いや、マジで打率390とかではなく、4割です。

私の販売の実力は超絶怒涛の空前絶後のスピードにあります。

これは文章で説明するのは難しいのですが、お客さんがコーラ2つ、ポップコーン1つと言い終えた時点の零霊コンマ何秒後には合計金額690円が口から出ているのとコーラ二つとポップコーン1つがお客様の前に置かれているのです。そしてお客さんが1000円札を出した時にはお釣りの310円を手にしているのです。

これでは駅のキオスクのベテラン店員と変わらないではないか!という意見もあるでしょうが、計算スピードだけではなく、私の場合商品も出さないといけません。逆にキオスクの場合はほとんどがお客さんが手に取った商品を計算します。正直キオスクより商品数が少ないので覚えるのは楽かもしれませんが、同じ土俵で勝負なら私は誰にも負ける気がしませんでした。

口と手が同時に出る。まさにそれが19歳の私でした。しかし、残念なことに誰も証言できないことです。国際コースの仲間はこの時不在でしたので。Facebookで今でも繋がっている友人の誰も見ていないのです。

4割バッターを証明する事件として、お客さんがあまりに速い売りに驚き、放った一言に尽きます。

『君、テレビに出た方が良いよ』 

19歳の夏はバイトに明け暮れ、月に20万以上を稼ぎ終了します。しかし、あの時の日本劇場の売店の売り上げは幾らあったのか?時給850円では超安かったでしょうな。

2018年3月30日金曜日

国際コース③

今回は一般入試で入ってきた人たちを見ていきましょう。

国際コースに入学し、即消えたのは一般入試の連中でした。多分何も知らずに国際コースを受験し、合格し、まさかの英語漬けに付いて行けなかったのでしょう。

一般入試組の特徴はなんといっても男子ばかりだという点。25人中女子はなんと二人のみ!ここに2年から編入のSさんを含めても3人だけ!いかに日大経済に女子が一般受験で来ないか!
では名簿を見ていきましょう。まずはM君。私は若旦那と呼んでおりますが、一浪で都立豊多摩高校から入学し、バスケ部に入部。彼はAクラスでゼミも黒沢ゼミ。因みに日比谷の映画館のバイトも紹介した中。彼の結婚式には弾丸帰国で参列しました。 名簿の次はK君。彼はBかCクラスでしたな。次がT君。彼は現役で広島県立広島皆実高校から入ってきた人物で彼と大学二年時に全米の旅に行っております。彼は2組でしたがAクラスで、ゼミも同じ。T君を語るうえで一番大事なのが全米でのある事件と茗荷谷での事件!これは後日詳細を書きます。

次はW君。広島出身ですがほとんど話したことなし。ということは2組でCクラスでしょう。H君4浪の末、栃木の作新学院高校からの入学。いきなり4歳上の同級生です。しかし、アホではなく、実家も自営業で、彼が継いでおります。奥さんは国際コースではないですが、経済学部の元学生だとか。彼はBクラスでしたが同じ1組でしかも同じ黒沢ゼミ!そしてU君。栃木県鹿沼市の出身ですが彼も浪人生の筈です。編入してきたSさんと付き合い、卒業後に結婚した模様。Y君は英語のクラスも組も別でしたが、同じゼミ。彼も帰国子女であり、証券会社に就職しました。

K君。彼は同じ1組で英語はBクラスでしたが、大阪府立茨木高校という偏差値70台の高校から何故か一浪で入学。彼とも仲が良く、三年時にはヨーロッパ旅行に出かけております。K君を語るうえで大事なのが同じ国際コースのMさんにアタックしたこと!しかし、結果は玉砕でした。K君は卒業後専門学校に入り、今では沖縄でカメラマンをしております。I君。彼とは同じ草野球チームにおりました。Fさんは数少ない一般女子。N君は自衛隊出身という変わった経歴で同じAクラス。T君、話したことほぼ無し。Oさんはもう一人の一般女性で黒沢ゼミのHゼミ長と付き合い、結婚しますが離婚します・・・・T君。これまた話したことなし。S君。ダブルS藤の一名。秋田県立秋田高校から一浪で入学でしょうか。そしてもう一人のS君。大阪府立豊中高校から現役で入学。彼は1組のAクラス、しかも黒沢ゼミ。彼は3年時に米国に1年留学します。彼も幾つかの武勇伝を持ちます。N君は成田空港で働いているらしい。T君は米国の帰国子女のAクラス。そしてS君。二浪で入学してきたやつですがいいやつですわ。最後に編入のSさん。一般から国際コースに来るというまさにマゾ。

国際コースで私が特に仲が良かったのは若旦那、T君、K君とS君。
でも相関図は興味深い。私の知る限り若旦那はS君とつながりが強く、T君とも仲が良い。しかしK君と二人切りで行動はない。S君もそれに近いが、私はS君と二人だけはない。T君は全員と仲が良いがこの中で一番私に近い。K君もT君とは接するが若旦那やS君とは行動しない。T君はサークルに入っており、他の国際コースのサークル仲間とも接点がある。K君も他の国際コースの連中と接点があり、尚且つ草野球チームにも属する。若旦那はバスケ部なのでバスケ部や他の体育サークルと交流がある。

因みに私はこの4名より1年次は別の連中と仲が良く、そいつらは全員国際を辞めていく・・・尚、サークルに入っていなかった私は国際コース以外に知り合いはゼロ。同じ豊山高校からは数名経済学部に来ていたが国際コースの忙しさもあり、誰とも交流はなくなる。。。

つづく

2018年3月29日木曜日

分岐点④

今回は謙遜無しの武勇伝の序幕です。武勇伝と言えば前に書いた統一テストでの後ろの席のK君の日本史から地理への当日変更と前の席のK君の大学進学。これらは私的には杉原千畝ごっこでした。いい奴を助ける。他の付属の生徒に進学させるのなら同じクラスの仲間を進学させたい。しかし、これから書くのは誰も助けない自画自賛なのです。
 

高校1年生の夏に東京宝塚劇場の売店でバイトを始めたころは宝塚劇場で精一杯。しかし、歳を重なるにつれ、バイト歴が長くなるにつれ、活動場所が変化します。因みにその当日東京宝塚劇場の担当でも混んでいる映画館があるとその時間に合わせてヘルプに行かないといけない場合があります。特に優秀な販売担当クラスのバイトは戦場を幾つか転々とします。その間不在の映画館では残りのバイトがポップコーンを詰めたり、次の戦闘準備をしまします。逆に言えば販売担当のプロは準備をすることはなく、常に動いている状況です。

当時のバイトのドンは専門学校経由で大学入りした8歳上のSさん。彼は私が高校1年時に大学1年生でした。しかし当時24歳。他の大学生より年上だったので完全に将軍クラス。戦国武将で言う織田信長です。Sさんは清瀬在住ということもあり、帰りも一緒の電車が多かったですし、非常に男気がある先輩で飲みに行っても毎回彼がほとんど出します

Sさんが入ったころはバイトが定着していなかったのか他にはほぼいない状況。あとから入るバイトは年下というのもあり、そのため彼がディスペンサーでコーラを作っているどころか作り担当でさえ見たことが無い。それだけ一番手の販売担当を長くやっておりました。しかも用兵のプロなので、バイトに指示をてきぱきと出す。

Sさんは当時誰もが認める戦闘のプロ販売担当の一番手だったのですが他の映画館にヘルプで行くことは少なく常に日比谷スカラ座にて奮戦しておりました。逆にSさんの次のクラスにいた私はいろんなところに行かされます。東京宝塚劇場の後は暇なニュー東宝シネマ2へ。そして数年後には芸術座の売店専門に。芸術座はお芝居専門の劇場なのですが、ほぼ固定の社員さんでバイトが行くのは非常に稀だったんですよね。私が入った当時はバイトが行くところではない謎の劇場でしたが、途中からバイトが長期派遣されることになります。

Sさんは年もだいぶ上だし、物事をはっきり言う方だし、それに日比谷スカラ座の城主と仲が良い。当初は東京宝塚劇場が戦艦大和で日比谷スカラ座が武蔵かそれ以下なのだが、途中から日比谷スカラ座が一番艦に。Sさんは渋谷に東宝系映画館ができた当初は助っ人でオールナイト興行に行っていたりしましたがほぼ日比谷スカラ座から動かないイメージ。逆に私は良いように使われました(笑)。

その典型的な例がジュラシックパークの時です。この映画は有楽町マリオンの日本劇場で上映が決まっていました。しかし日劇は我々の担当外。本来なら関りがないのですがこの時バイトが大量に辞めたか何かで戦闘力が著しく低下。そこで東京宝塚劇場内の事務所は私を派遣することに決定します。これが大学1年の話です。1993年の夏でした。この時Sさんは四年生で就職活動中。こちらは4年目でSさんの次に長い歴戦のプロ。しかし、年齢が若いこともあり、Sさんみたいに外部遠征の経験はなく、販売一番手の経験は多くあるが、Sさんと比べたら経験値は雲泥の差。一軍クラスであり、ベストナインではあるが、MVPクラスどころかタイトルホルダーでも無いような状況、

そんな状況で日比谷から派遣されたのは私を含めバイト3名。私以外はそこまでの戦力ではない。年上の新人フリーター男性と年が一つ上の大学生。この当時の日比谷軍は主力級の大学生が就職で抜け、完全な過渡期。しかも夏なので新人もほぼ経験がない状況。そんな状況下なのに担当エリア外の日劇に派遣をします。その派遣軍のエースは私です。19歳。

何故私が派遣されたのか?
  • Sさんが就職活動中だから仕方なく二番手の私が派遣された。
  • ジュラシックパークは合田しか捌けないという声が出た。
  • 日劇なんて我々には関係ない。合田でも派遣しておけ、だった。 
真相は闇の中ですが、ジュラシックパークで私はタイトルホルダーになるどころではなく、一気に日本記録を作るだけの奮戦をします。
  つづく

2018年3月28日水曜日

オーステンデ

ブリュッセルに一泊した次のはリンダ氏が早く北仏に戻り、私はプラハの便が夜だったのでベルギー西部、港町のオーステンデを目指すことに。

乗車券は事前にネットで購入。駅の窓口に並ばずに買えるのが便利です。週末割引も適用され、1等車の往復で28ユーロほど。

ホテルの目の前がブリュッセル最大の駅、ブリュッセル南駅だというのも助かります。
10:03発のオーステンデ行きのIC(インターシティ。国内の特急列車)に乗ろうと思い、駅構内で菓子パンとフレッシュジュースを購入し、ホームで列車の到着を待つのだが、列車は遅延。しかもかなりの数の人数がホームで待っている。

ブリュージュ南駅のホーム。

オーステンデは初めてですが、途中にヘントとブリュージュに停車し、特にブリュージュは観光客に人気な観光地。1時間で行けるので十分日帰りどころか 朝も早い便に乗らないでもOK。

列車が入線し、一等車に乗車すると一等車もかなり混んでおり、8割ぐらい埋まっている。一等車は2両連結でこの乗車率なら凄い。ブリュッセル南駅を出るとヘントまで停車しない列車なのだが、ブリュッセル北駅、中央駅と停車しての南駅なのでブリュージュを目指す観光客はよほど南駅が近くなければ最低でも中央駅で乗車した方が席は保証されます。

オーステンデ行きIC列車の1等車(検札前)

一等車は通路を挟んで、1席と2席。混んでいたので仕方なくドアに一番近い1席に着席。通路を挟んだ隣の席には20代のバックパッカーの白人男女が座っており、スーパーで買ってきたハムやチーズ、パンを食べている。そして前にはスペインかイタリア人かなんかの集団が座っており、大きなスーツケースを網棚に乗せている。彼らもその場でサンドイッチを作っては食べている。

一等車ぽくない客層だが、人を外見で判断してはダメだろうからこちらも南駅で買った菓子パンとジュースで朝ご飯。

チョコチップマフィン、パンショコラとミックスフレッシュジュース
食べ終わってしばらくして車掌さん登場。まずはバックパッカーカップルから検札。

車掌『この乗車券は無効です。これはブリュッセル空港からブリュッセル市内までの乗車券です。どちらまで行かれますか?』
男性『ブリュッセル空港からブリュージュです』
車掌『それではブリュッセル市内からブリュージュまでの 大人二枚の乗車券を発券します。ブリュージュの駅の窓口で両方の乗車券を見せて頂ければ、ブリュッセル空港からブリュージュまで扱いになり、差額を返金してもらってください』
男性『はい』
 車掌『それとこちらは1等車です。二等車の乗車券ではご乗車できません。二等車は2両先にございますのでお移り下さい』

バックパッカーは追加の乗車券を購入し、沢山の荷物(食べ物を含む)を抱え、移動していく。

このやり取りの間に反対側のドアから検札に来た車掌さんがイタリアかスペインの集団と何かやり取りをしている。そしてしばらくすると団長ぽい人間が立ち上がり、周りに熱弁を振るっている。そして全員が立ち上がり、網棚のスーツケースを取り、集団で移動。こいつらも二等車の乗車券で一等車に乗車。瞬く間に車両の7割ぐらいの乗客が去っていく。

検札後の一等車車内


結局正規の乗車券で乗車していたのは私以外は犬を連れた白人カップルと反対側のドア付近にいた中国系の数名ぐらい。

要するに東洋系だけは全員正規の乗車券で乗車していたことになります。

がらんとした一等車になり、車掌さんに話しかけました。

合田『二等車の乗車券で一等車に乗車する人はこんなにいるんですね。南駅で乗車したら席がだいぶ埋まっていたのでここに座ったんですよ』
車掌『こんなの日常茶飯事です。どうぞお好きな席にお移り下さい』

因みに一等車と二等車の区別は車体のドアの隣に1と大きく書いてあるか2と大きく書いてあるか。この数字は1号車や2号車の意味ではないのでご注意下さいね。1号車や2号車の表示は行き先のプレートや電光掲示板に明記、車両には絶対直接書かれておりません。

2018年3月27日火曜日

分岐点③

日比谷の映画館と東京宝塚劇場での売店のバイトは1990年7月から1997年1月まで及びました。

高校一年生で入り、その後高校の同級生や大学の同期を誘いながらバイトは6年半に及びました。東京宝塚劇場の一階のメインの売店でアイスクリームを作っていたこともありますし、日比谷スカラ座で満員のお客さん相手にポップコーンやコーラを売っていた時もあります。では、売店ではどういうことしていたかを書いていきましょう。

あの当時日比谷地区のバイトが派遣されるのは①東京宝塚劇場②日比谷スカラ座③日比谷映画④みゆき座⑤ニュー東宝シネマ1と2。ほかに日比谷シャンテの映画館もありますが、ここは契約社員さんのみで担当。

映画館にはそれぞれ契約社員さんが一名ずつ「城主」としております。勿論いろんな城主の方がおられました。尚、総括する事務所は東京宝塚劇場内にありました。

バイトはシフトの前日に自分でシフト表を確認するか事務所に電話し、出勤時間と担当場所ををチェック。例えば08:00にスカラ座ならその前に事務所に行き、タイムカードを押し、宝塚劇場とスカラ座の間のロッカールームで着替え、スカラ座に。

そして朝1本目の開場までの準備を始めます。尚、売店と通称「モギリ」では採用会社が違います。モギリは大学生などのバイトで映画館の保有者、東宝の採用。会社も違うし、基本的に交わることは一切なく、私は一度も彼らと飲みに行ったこともないです。

開場前までに準備をします。そして開場時間前に人員の配置を決めます。

  • 販売専門
  • 作り専門
  • 遊軍
  • パンフレットやグッズ担当
映画館の売店の広さ等と混雑状況で人員は変わるのですが日比谷スカラ座のMAXの場合、売り担当は3名。作り専門はディスペンサーでコーラなどのシロップ原料の飲み物担当が1名。アイス&ホットコーヒー+烏龍茶担当が1名。 ビール1名。パンフレット&グッズが1名。遊軍1名。販売担当はディスペンサーを挟んで左に二名。右に1名。因みにランク的にはディスペンサーのすぐ左隣が一番の主力、アイドルグループで言うセンター。その左隣が2番手。ディスペンサーの右隣が3番手。コーヒー&烏龍茶担当は1番手2番手と背中合わせの状態で配置。ビール担当は一番左奥。パンフレット担当は入り口近くの一番右奥。遊軍はお客さんとのやり取りはしませんが3番手とパンフレットの間で補充や受け渡しを担当。

ということで戦闘員が最大8名。これが超大作の映画で且つ土日祝の際の人員数で、平日や大作以外ならMAX6名で5名が基本。6名ならコーヒーとビールは1名で担当、遊軍無し。5名なら3番手無し。因みにダイハード3の先々オールナイトの際はバイト5名でした。この時はパンフレットは無視の販売3名、作り2名。

この先々オールナイトはオールナイト史上最大の戦闘となりました。この顛末の後日書きます。

平日の夜なら5名。暇な朝一番だと販売1名、作り1名、パンフレット1名でも可能です。暇な映画館だと2名という場合もあります。この場合販売作りがバイトと城主。

これが日比谷スカラ座の売店の陣形です。そして一番優秀な当日のバイトが人員の配置をします。「城主」はおばさんばかりなので戦闘能力が低く、パンフレット担当が基本で、販売三番手は基本的に時間になると事務所から来る社員さんが担当。

コーラやポップコーンの販売ならマクドナルドなどのファーストフードのレジと似ておりますが、全く違います。映画館の売店の場合、決められた時間までに全部のお客さんをさばかないといけませんし、売店に来る時間が集中します

そしてマクドナルドとの別の違いは忙しい時は販売担当は一切作りに加担しないこと。逆に作りは一切売らないことです。次に時間内にさばくために「作り置き」をする場合があります。コーラ、アイスコーヒーや烏龍茶はお客さんの注文ごとにいちいち作り始めていたら間に合わなくなるので作り置きが基本。超混雑の場合はホットコーヒーは勿論、ビールも作り置きしておきます。
 
作り置き担当が主力級でない場合は司令官から数の指示がでます。バイトを始めたらまずはディスペンサー担当から始め、三番手、二番手、ビールコーヒー担当、一番手と歩んでいくのですが、私は一番手の実力でしたが副将としての経験が長く、作り置きのスペシャリストでもあり、どれをやらさせても超一流だったことは謙遜せずに書いておきます。


どれぐらいの量を作り置きするかは作り担当の腕の見せ所ですし、そして売店に群がるお客さんの列を見ながら作り置きの残量を基に追加の作りを読むというのが醍醐味です。

作り置きより追加を作り始める時間が最大のポイントとなり、私はこれまた謙遜ではないですがこの分野ではこの時代ナンバーワンでした。この後方支援という経験がプラハでも発揮するのは言うまでもないです。

そして一番優秀な人材を販売1番手に持ってくるのかそれとも敢えて作り専門に持ってくるかで戦況は違ってきます。ディスペンサー係は1番手からの指示が出るのですが、コーヒー・ビールは独自で動かないといけません。ここに優秀な人材を配置しないと兵はいても兵糧がない状況に陥ります逆に優秀な作り置き部隊を配置しても販売担当が弱いとお客さんはイライラしてきます。

つづく 

2018年3月26日月曜日

国際コース②

今日は付属高校からの進学組を紹介します。記憶が間違っていたらすみません。

日大経済学部経済学科国際コースは文系トップレベル扱いなので内部進学してくるには難しく設定されております。

当時の文系の学部でレベルが高い順に法学部、経済学部、商学部、文理学部、国際関係学部。国際関係も悪くないのですが、文系唯一の東京の外、しかも静岡県三島市にキャンパスがあるので東京近郊からの付属生には不人気でした。法学部と経済学部は水道橋にキャンパス(法学部は一年時は大宮)なので人気は高い。国際コースは単なる経済学科よりは全然上の扱い。

従って国際コースに進学してくる日大付属生はかなり優秀なはずです。今名簿を見ると21番と25番が空欄。25番は辞めたのでいいのだが、21番は最初から空欄?

まず付属校生で出席番号が一番早いのは日大東北高校からのSさん。この方は高校時代特待生だったという話です。彼女は英語のクラスは私と同じA。次が日本大学高校からのN君。彼もAクラス。次が高校時代留学していたので1年遅れで入学してきたAさん、豊山女子出身。どこかの会社のお偉いさんの娘さんという話でした。勿論彼女もAクラス。そして日大習志野卒で日系の航空会社でCAとなるTさん。彼女は帰国子女のH君と結婚します。TさんはBクラスだったと思います。

次が日大習志野二人目のA君。彼はCクラスかなと。Mさん、彼女は唯一の準付属からの進学。宮崎日大卒。高校時代寿司屋かどこかでバイトをし、時給が400円ぐらいと聞き絶句した覚えがございます。尚、準付属とは日大の経営ではなく、提携校扱いで、地名+日大と付くと準付属です。佐野日大や大垣日大がそうです。N君の日本大学高校や私の豊山は正付属。日大一、日大二、日大三など日大の後に数字が付くのは特別付属で、経営は日大ではないのですが、日大系の学園でこれは正付属と同じ扱い。基本的に内部進学の際に正付属、準付属、特別付属で有利不利はない筈です。

特別付属の日大二から来たI君。彼もAクラス。そしてIさん、彼女はCクラスで高校は忘れました。多分2組でゼミも違ったので全く接点がなく、4年間で一度も話したことが無い国際コースの一員でした。次がK君、クラスはB、高校は日大三だったと思います。次が同じ日大三から来たS君でしたが彼は一年時に国際コースを辞めました。そして私。
私の後がBかCで2組のSさん。彼女は日大鶴ケ丘だと。その次が日大鶴ケ丘卒のAクラスのOさん。正付属+特別付属高校でこの年国際コースを輩出しなかったのは日大山形、日大一と日大桜丘。関東近郊の準付属だと佐野日大、土浦日大、千葉日大一(これは日大一の系列)はゼロ。

こう見ると異様に付属校からのAクラスが多いと分かります。13人(一年で辞めたS君も含む)中6名輩出。ほぼ半分が付属校からの進学組。そして指定校推薦組はゼロ。因みに男女の内訳は13人中10名が男子。そして一般入試組は全員男。

指定校推薦ゼロでいかに付属からの進学組が優秀か分かると思います。

英語は女子というイメージですが、この年の国際コースは違いました。というか英語ができる女子は国際コースに来ない!

つづく

2018年3月25日日曜日

ブリュッセル④

海鮮ちらしを堪能し、トークもさえ、昼食会は終わり。

海鮮ちらし


スタンバイのCAさんと店の前で別れ、三辰に残るリンダ氏とも一旦別れ、近くのアジア系食材店へ。そこでちゃんぷと息子さんともお別れし、サーファーと女子大生とお茶をすることに。

そしてサーファーは北仏に戻ることとなり、女子大生とブリュッセル中央駅へ移動。ここでリンダ氏ともう一人日本大使館の女性と合流することに。

ブリュッセル市内

ブリュッセル市内
 何度も来ているので感動はなしです。中央駅で合流し、グラン・プラス、広場へ。

グラン・プラス

グラン・プラス
 ちょうど春節で春節のお祝い用の展示物が広場に・・・・正直邪魔でした。そしてちょっと驚いたのが日本人観光客何組かに遭遇したこと。

ブリュッセルに来たら行かないといけないのが小便小僧です。
小便小僧
 土曜日の遅い夕方に来たことが無かったので凄い観光客の数でした。2月末でこれですから、観光シーズンはもっと多いでしょうね。因みに最初に小便小僧を見たのは1995年の8月。あれから22年半が経つとは。世界三大がっかりの一つですが、私は世界三大がっかりも日本三大がっかりも制覇しております。

広場の近くで女性陣はワッフルを購入。どの店も混んでいる。そしてどこかの店でビールでもとなるがどこも混んでいて入れない。ということで時間が早いが夕食にいくことに。

しかし、どこも混んでいて最終的に行くことになったのは60種類以上のムール貝が食べれる郊外のお店に。4名でタクシーに乗車。女子大生は欧州初タクシーだったらしい。

ムール貝

ムール貝と言えばフライドポテト
やはりベルギーに来たらムール貝!しかも注文したのはガーリッククリーム味!これ、マジで旨かったです。

最後に大使館の女性に講演会の話をし、資料を渡し、お会計に。何故かムール貝一食が無料になっていました。請求忘れではなく、取り消しに。。。

お店を出て最寄りのバス停に行き、大使館の女性、女子大生と別れ、リンダ氏と宿泊のホテルへ。

つづく

明けましておめでとうございます

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いします。 昨年の12月13日から1月13日まで日本に一時帰国しておりました。 今回は帰省と仕事の両方でしたがあっという間の1か月でした。  今回のポイントは初の種子島訪問でした。